2013 World Cup,Gasoline Championships
2103年10月下旬米国ラスベガスで開催されたワールド・ガソリンチャンピョンシップの様子を書きました。

レースシーン動画はYouTubeにアップしています。今回は東京のSakamotoさんがプロ仕様のカメラで撮っていますので迫力あります。


2013年10月19日(土曜日)
夜9時の便で福岡空港からホノルル経由でべガスに向け旅立ちました。
ホノルルには朝の10時過ぎに到着し、レンタカーを借りチャイナタウンにGo! ここの古着屋に用事があるので。
でも、いつ来ても危険な匂いプンプンしています。一人じゃ何が起こるか判らないので早めに切り上げた。

ハワイでも身の危険を感じますねあそこは・・・・・そこが魅力でもあるが。

レンタカーはコンパクトカーを予約していたが、受け付けのお姉ちゃんに私のドライバーライセンスを見せると、
彼女の旦那さんの出身地が久留米(福岡県)だそうで、無料でアップグレードした高級車を貸してくれました。 最初からラッキー@でした。
サーフィンのメッカ・ノースショアー近くの有名店『ガーリックシュリンプ』で昼食を取ったが味はイマイチ。
3時ころの遅い昼食でしたが意外と外人のお客さんなど並んでいた。あれだったらハワイで有名なあれ!
ご飯の上にハンバーグがのっているの・・・・・そうロコモコの方がお勧め。

で、途中で泳げそうな所を探したが良い場所が見つからず、結局ノースショアーまで来てしまい、着いたのが4時過ぎころでした。
オアフ島の東回り海岸ベタの道をただ良いとことはないかな〜て感じでドライブ。
一人旅で無ければ早めに決定して適当な所で泳ぎ始めていたと思うけど、今回は単独ですから好きなように道を決定し冒険をしていました

う〜n
沖の方で10〜15人ぐらいサーフィンしていました。さすがにここは波が高いしどうしょう・・・
良く見ると『ノースイミング』と砂浜に立て看板あるし、
板無しで3〜5人ぐらいは浜辺から波に向かって飛び込んで泳いで遊んでいる人もいるので、
『よし!!ここで泳ぐぞ〜』と海パンに着替えたところで、家からタオル持ってくるの忘れてたのが判明。小さなタオルハンカチだけ、
まあいいか、その代わりナイロンたわしタオル有るので何とかなるでしょう。

地元の奴が『ビーケァフル(気をつけろ)』と声をかけたので、OK アムショァー
と波に飛び込みました、波が高くて沖に行けません身長の3倍ぐらいの波が砕けて襲ってきます。
ウ〜ム ひとまず戻ろうっuuuuuuuuu なんと浜辺に近づくと次の波で引き戻されます。
『巨大な洗濯機でもまれる感じで』海底には打ちつけられるし、身体はグルグルと回転・・・天地が逆でももうわからない状態

あと少しで浜辺に上陸出来る(膝小僧より少し上)位置でまたもや次の波が来て人さらい・・・・ガッテム グルグル回転レシーブ
あ〜ぁもうだめ『力尽きた・・・』 とその時
私に声をかけてくれた人の手が伸びてきて引き上げてくれた。 本当にあと少しで死にそうやった@

髪の毛の隙間、耳の穴は砂が詰まっており、鼻水が滝のように流れていました。ブザマの一言。
今『ノースイミング』の意味がわかりました。 飛び込んでも普通の人では戻れませんよねてことでした。
そうこうしているうちに夕陽の時間帯になり、まだ沖ではサーフィンをやっています。
みんなは一様にこの時間帯を大事にしている感じで夕暮になっても誰も帰り支度しません、
ただボーと海を見つめてこの瞬間を楽しんでいました。 なんかい感じでしたよ、あの夕陽はまた見たい。

画像のトップは、死に掛けた際に身体の穴という穴に侵入した砂を取り除くべく、何度もシャワーを浴びたが取り除けない。その時の苦労がうまく撮れています。


ホノルルを夜10過ぎの便でラスベガス直行します。予定通り疲れたのでぐっすり朝まで寝れました。
今回はハワイアン航空で、往路ビジネスクラス、復路エコノミークラスをマイレジーのたまっていた分で
つまり航空券はタダで手に入れました。たまにはいいこともあるね。


11月20日(日曜日)
朝7時過ぎにベガス空国に到着、レンタカーの手続きすませ車を選ぶ時『ここからここまでコンパクトカー』と係員に指示されると
その並びに『トヨタプリウス』があり、私は思わず『ラッキーA』とつぶやいた。 こんなことはめったに有りません。
これにしますと決定し荷物を積み込みいざ出発、超ハイテク車でうまく操作できず動けません。
10分ぐらいあれやこれで動かすことができとりあえずボートを預けている『オサム君ちに』Go !!!!
ピンポンと呼び鈴を鳴らし『今回もお世話になります』と8時過ぎ到着しました。

今回は事前整備に約3日間かけるスケジュールを組んでいました。これでタイトルが取れないならもう諦めようかと
ラスベガスは最後の挑戦になるかもしれないので悔いが残らない時間を組みました。
今までの過去の事故後の補修とかで、たっぷり3日かかりました。準備OK!!!!!いつでもどうぞ

11月24日(木曜日)
オープンウォーター(テスト走行)の日です。最初は燃料と高度の関係か?なかなか満足できないエンジンパワーです。
各ボートのにニードル調整とかやり、CAT、スポーツハイドロ艇はいい感じのセットOK、モノ艇はいまいちだがOK、
アウトリガー艇だけ調整だけではエンジン不調、日本では絶好調でしたが・・・・これはG300PUMが載っています。
『くそ〜一番力を入れていたのに』
向こうの尊敬できるチューニング屋のブッチも久しぶりに来ていましたので、『調子が悪いの僕のエンジン』と話しかけると
いろいろと言ってくれたが、最後に『いくらあんたのエンジンは』と聞くと660ドルでいいよと・・ふん〜考えてみる言ってて別れ
キャブのダイアフラムを交換したら調子を取り戻した。
走行したらブッチがやってきて『良いぞ〜俺のエンジンは』とセールに来たので
大丈夫『治った』と言ったら、残念そううな顔をした。 内心アメリカで1番信用おける彼のなら660ドル払っても研究材料として
手に入れることも可能なので”どうしよう”かと迷っていた。

練習走行でリガー艇の左前のスポンソンバー破損と同じくスポンソンバー取り付け付近を壊したので急きょ夜の作業場がいります。
そこで『大阪のテキヤのおっちゃん』の登場です。彼も自作のモノ艇で参戦されています。
彼らの宿に修理するためお邪魔することに。 さすがに知人宅のオサム君ちで甘えて夜の作業はいけません。
彼らは『すき焼きの材料持ってきている』ので食べたらと言ってくれた。有りがたい。
おっちゃんの手を借り、スポンソンの接着修理完了できました。遅いので彼らの空きベットでお泊まりさせていただきました。


11月25日(金曜日)
ワールドカップレース始まりました。
私は3日間で7種目を4ヒート走ります。各種目のトップシックスに残れば決勝ラウンドに進み1ヒート追加
はっきり言って燃料補給の管理・修理などでゆっくりレースを観れませんが十分すぎるまで戦うことができます。
最初はモノ艇から始まりました、『"H"!!!DQ(違反行為でそのヒートは失格)』とコールされガックシ もう何だったか思い出せません。
次はCAT艇『慎重にいこう〜xと』と2位でゴール出来た。スポーツハイドロ艇は3位か?、リガー艇は2位でゴールで
初日の幕が開きました。途中の経過はあまり記憶に残っていませんが、
今回初めて『コースがはっきり見えた』との印象です。8年目にして初めて感じたことでした。

当然と言えば当然ですが日本からの参戦は@時差の関係で集中力は?A事前準備でエネルギーを50%使っている
B現地入りしてからバラバラになっているエンジン及びボートのセットアップ
などでレース開始前から相当なハンディーがありますね
いつもは現地1週間滞在を今回初めて約2週間に変更した。 多分その効果が出たのではと思います。

今回はレース中に『棄権か修理して続行するか』大きな事故が2回ありました。つまり死にかけがABと
最後の年になるかも知れないので、『皆が諦めたら』みたいな雰囲気の中を修理決断し最後まで走りました。
多分第3ヒートくらいの事故で画像のように凄い状態、スポーツハイドロの直線スピードは100キロオーバーです。
相手がバックストレート2/3走ったところで急に舞い上がりよける暇もなく黄色のボートが着水寸前のところを衝突し
回収時には2艇とも離すことができず陸上で離した激しい事故でした。
私は後ろからオカマ掘った格好ですがさすがに、私の方にはペナルチィー課せられませんでした。
あの状況では『回避は不可能』と判断されました。 よく見ていますジャッジ

修理はまず、乾燥しないと接着作業ができませんのでエアーコンプレッサーの設備の有るテキサスチームのトレーラーへ行き、
状況を説明し、発電機を回してエアーを供給してもらった。
後は工法の検討と材料の調達。会場の選手たちに相談すると『それなら彼が持っているよ』といろいろと協力していただいた。
夜間作業で中に入れる木材なども削らないといけないので、照明設備の有る大阪のおっちゃんの駐車場を使うことに。
夜9時ごろ作業が90%終わり、後は接着が固まる朝まで何もできません。

その日は土曜日なので選手の定宿でみんなバーで騒いでいるだろうと思い、ハィウエーを飛ばし彼らのホテルへ Goooo!!
ちなみに『大阪のおっちゃん』は9時にはベットで寝ていました。お連れさんはカジノに行っている。
ラスベガスに来て夜は遊ばんやったら、もったいないけど・・・・』 
着いたらJeffに『飲んだら運転できんのでお前の部屋で寝かせてくれ』と言ったら軽諾した。
彼はギャンブルも強く、私はルーレットで赤のシャツ着ていたので赤に20ドル置いて
ハイ『赤』でました。飲み代稼いでみんなとまた飲んだ。40ドルは勝ったと思う。Jeffは300ドルの勝ち。


次はアウトリガー艇の修理、スタート直後の混戦でボートが舞い上がり、その後で他のボートに『ガシャン』と踏まれました。
ボロボロです。残り1ヒート有りますので修理したいが・・・・そこに以前も手助けしてくれて修理出来た。
サンフランシスコ出身の彼が接着剤いる〜?近づいてきて、Yes ! Ineed help と言ったら探してくると・・・
数分に後戻りドロットした瞬間接着剤とスプレー硬化剤の併用でキャブカバー、船体の口が開いた箇所など応急修理出来、次のラウンドを走ることが可能となった。


11月27日(日曜日)
レース最終日、最後のバトルではJeffと一緒に走ることが有った。スピードではこちらの方が優勢でしたが、
スポーツハイドロでは興奮して思わずインを攻めて『ブイカット』やっちまた
リガー艇はキャブブロックに亀裂が有ったのを知らずに走り、
スタート直後のトップはJeffで8メートル後方が私、バックストレートのエンドではオカマ掘るまで近づき
コナーで一気にインを刺し、出口でトップを奪いここから『”H”のステージと思いきやエンスト!』
あちゃ〜 最高の見せ場だったのにガックシ肩を落とした。超〜u悔しかったです.

彼曰く『”H”お前が追いつくのをスロットルを緩めてやったんだぞ〜』と平気でみんなの前で言っていた。
もちろんボッシェット(嘘つき)と言ってやりかえしたが後の祭り。


私の入賞はG1CAT(キャット)で3位、オープンCATで4位、オープンMono(モノ艇)では最速タイム賞、それと
ブイを相手に派手に戦った"BAD TO THE BOUY"賞をゲットできた。

いつも通りアメリカ人は片づけが早いです。いつも私が最後の方です。
今回、2014年春のエルパソレース参加をイージーにする為に、
アリゾナ在住の”ジェリー”さんに私のボート3艇を預けました。彼はアメリカ人でも紳士的な信頼できる方です。


11月29日火曜日
昨日は知人宅の車庫で預けている備品の整理と、日本に持って帰るリガー艇の洗浄で1日が終わり
今日はロサンジェルスに向けドライブ、ラスベガスから4〜5時間ぐらいのところにJeffの家が有ります。
YouTubeにその時のドライブの様子をアップしています。こんな感じですアメリカのドライブは。
Jeffの家には昼2時過ぎころ着き、ゆくり今後のことで商談しようと思っていたが、
『プリンターのインクがなくなったので買いに行く!』とかで彼の車で街に出ましたが、購入先の店が見つからず
ひとまずバーに車を寄せ、『”H”お前もビール飲めとか』言っているので、少し早いので嫌だと最初は言っていたが
結局飲み始めた〜〜ここで1時間ぐらい居た様な気・・・・
表の駐車場に大型バイクのハーレーが止まっており
なんでもアメリカの2っある大きな組織の片方の幹部の持ち物で、『彼がここで飲んでいるのでチンピラは来ないそうで』
Jeffとも気軽にいろいろと話していた。

3半ごろ店を出ましたが、まだ喋りたらない様で自分の家の近くのバー車を止めた。。
『4時ころ大阪のテキ屋のおっちゃんがお前の店に来るんじゃないの?』と彼に言ったが、
『渋滞で遅くなるに決まっている』と勝手に決め込んでバー直行した。あ〜付き合いきれん
案の定、テキ屋のおっちゃんは4時にはJeffの家に着けていました。私達が戻ったのは5時頃で
もうちょっとで帰るところだったとか・・・日本人は約束守るよ。

Jeffとはビジネスの話は5分もしただろうか・・・良く覚えていない。
インクを買いにまた街に今度は店が閉まっている。
アホカお前は。。。。。帰る途、今日はお金を使いすぎので”セーブ”と発声し
安い中華のお持ち帰り店で買い、彼の家でおそいディナーをとった、シャワー借りてから、一杯飲んで家のソファーで寝てた。
ちゃんと起きることもできJeffに『ありがとう』と別れを告げ4時ころ家を出た。
最初レンタカーの空港近くのレンタカーの返却場所が分からず、うろうろ・・・怖かった〜暗がりのロスは。


早朝ロサンジェルス空港からホノルル経由で福岡に夕方6時ころたどり着いた。女房が迎えに来ていたので一安心しました。 まだかろうじて崩壊の・・・・・・。

2014年1月17日に書き上げました。ひろゆき