2013年度 アメリカのレースに参戦した様子を紹介します。 ひろゆき



米国テキサス州エルパソレース(自閉症の募金を兼ねています)

4月24日(水曜日)に福岡空港より空路で成田、ロサンジェルスで乗り継ぎラスベガスに到着、すでに20時間は経ちました。
ロサンジェルスの税関で私だけが、詳細検査ラインいけと指示され、あ〜なんで僕だけが??人相に問題が・・・あったかもね・☆
当然、乗り継ぎ便べガス行きには間に合わずキャンセル待ちで次の便に乗るはめに。 外に出た岡本さん大丈夫でしょうか?

福岡から同行している『何も知らない、そして
ノーイングリッシュ』の岡本さんは一人で乗り継ぎのラスベガス行の飛行機に無理やり乗せられたそうで
べガス空港の手荷物受取場で『一人ぼっちで、、4時間を不安な状態で私を待つ「』たそうで・・あ〜何ってこちゃ。まっこれもいい経験で記憶に残る旅ですかね

初日からこんなハプニングですが、実は旅立ちから始まっていました。恐るべし
”H”のカン違いといつもの忘れ物

福岡空港で無事、預け入れ荷物検査もOKであとは飛行機が僕たちを運ぶだけと安堵し『昼食のカレーライスとビール』飲んでカバンの中の書類を探すと
『米国の資料ファイル』が見当たりません?!!!!!!!!!レンタカーの契約書、国際運転免許証、宿泊先の予約、
べガスからエルパソまでの道順の重要チェックポイントリスト、などなど、これなしでは何一つ米国の行動はできません。有るのは」パスポートと財布。

多分自宅に置き忘れ? 岡本さんの携帯電話を借りて家にいるエブ君に「『ね〜ぇ そこに資料ファイルある?』 『これのこと?』
こたつのテーブルの上に大事なものが有りました。 行く前に教えなかった『女房が悪い!』なんて口が裂けても言えません。ゴックリ
出発まで20分を切っています。
JAL搭乗カウンターで『忘れ物の書類が有るのでFAX番号を教えてくれ~』と懇願すると
『ここにはFAXは有りません』との返事。あちゃ〜   飛行機に搭乗するの?と小娘が私に聞く『
もちろんン乗る るrる!!』今更中止はできませんよね。

成田空港にFAXで送る方法を提案され、成田のFAX番号が判るまで時間がかかり、私は顔面蒼白でした。
ぎりぎりセーフで乗り込み、後は成田空港で確実に受け取ることができるかに今後の全てがかかっていました。

成田に到着、ギュ~n『ドアが開き』出るとJALのおねえちゃんが待ち構えてくれていて大熊さんと『FAX5枚』ほど受け取りました。ありがとう 
JAL

全部送るのはFAXでは不可能ですので、初日に必要なレンタカー契約書、国際運転免許証のコピー、モーテル6の予約控え、手書きの道順でした。
あ〜これで光が見えてきました。 後はインターネットが有ればなんとかなると思いました。ノートパソコンは持ち込んでいましたので。
成田からロサンジェルスまでの機内の様子を
YouTube に揚げていますが『頭が壊れはじめてる僕たち』の様子ですのであまりお勧めできません。

初日の予定行動より税関検査で4時間押しています。
ラスベガスのレンタカー屋では白人男性が応対する順番になり、、『悪い予感』が、、、、、、
本物の国際運転免許証は有りませんので日本の運転免許所を見せ何とか・・・・最初は『コピーの国際運転免許証はダメ!』そりゃそうでしょう。
追加のドライバーを岡本さんに指定していましたので彼の国際免許証を見せているうちに、(彼は忘れ物はなかった)

担当者は日本語の勉強をマサセッツ大でしたそうで、沖縄にも1年住んでいたので『時々日本語を使い』難しいですねと言って打ち解けてきました。
しょうがないと『日本の運転免許証番号』をコンピューターに打ち込み無事にミニバンを借りることに成功。 結局彼はいい人でした。ラッキーよかっった。
アメリカでは車がないとどうしょうもないです。

最初に岡本さんに運転をしてもらい私が米国運転を助言することにした、『やっぱコピーの国際運転免許証』じゃ市内はやばいです。
べガスの友達の家に行き私の預けていたボートを3艇をミニバンに乗せ、ボートは日本から持ち込んだ2艇で合計5艇になりました。

とりあえず日が落ちる前にべガスを出てYouTube 最初の宿泊先のモーテル6いかなければ。 Go Go 〜う 260マイル走行(約410キロメートル)します。
夜の11時か12時ころにモーテル6に到着 シャワー浴びバタbbキュ〜u やっと1日が無事に終わりました。 ここはアリゾナ州フェニックスの入口です

4月25日(木曜日)今日はアリゾナ州、ニューメキシコ州を通過しテキサス州のエルパソとゆう町まで移動します。
朝は日本から持ち込んだエンジン部品の組み立て、ボートのセットアップをできるところまでし、エルパソに向け出発

本日は460マイル(740キロメートル)移動しなくてはいけません。適当に運転を交代し、適当に飯を食い、どこまでも直線の道を東の方に走ります。
だいたい最高80マイル(130キロ)のスピードで車を走らせます。小型の砂嵐も何カ所か通過して、サボテンとか西部劇の風景も現れてきた。

途中休憩に寄った店で
岡本さんは日本から持ってきた黒の帽子を空港の検査器の中に置いてきたので、ハットが有ったので教え購入『結構これが似合う』
夕方6時前にエルパソのホテルに到着、ルームメイトのJeffは玄関先の駐車場で仲間とおしゃべりしているのを見つけ
『ヘイ〜Jeff』と駆け寄り男同士で
ハグハグ

ある程度の荷物を部屋に運び込むころには岡本さんは『夕食を一緒に食べに行けないほどグロッキー』でした。

Jeffは私の提案で『ベトナムレストラン』に行くことに決めてくれ2人でディナーを『生春巻き、フライド春巻き、海鮮ヌードルとビールを注文』
テイクアウトでは岡本さん用に飯と焼き肉系のプレートのを持って帰りました。 彼は『うまい!』生き返ったと申していました。
米国じゃやっぱエイジアンフードが日本人にはいいね。

起床時間を決め焼酎を飲み寝ます。 
なんと!気がつけば現地時間は1時間前進していました。 いつの間にか山岳時間帯に入っていました。けっこう東に移動していました。

4月26日(金曜日)本日はテスト走行の日です。5時半起床、ホテルの無料朝食を6時にいただき、私達の荷物をミニバン積んだころには
Jeffは先にチームメイトの車で出ていってた。 『おいまたんかいこの野郎』と叫んでも後の祭り。 来たばっかりで道はよくわかりません。 

案の定、途中道を間違えメキシコの国境のフェンスまで行ってしっまった『オ〜ノー、バックバック』。  でも7時前には会場に到着した。
会場は国境より2キロも離れていません。

公園内の端っこにある屋根付きベンチをピット変わりに作業開始。 岡本さんはモノ艇の1艇だけでしたので私のボートのセットアップを自発的に手伝ってくださり。
なんと!昼前には全てのボートのセットアップが完了し走行テストの第1弾を始めました。 今まで経験では考えられないことです。
『おそるべし岡本さんのヘルプ』。
でもね、なんだか『エンジンの力がイマイチ』燃料が悪くなっているのか? 
なんせ昨年の10月のべガスのレースで使った余り物の混合油燃料を『もったいない精神』で使っていましたからね。
その燃料もなくなり新しいガソリンを2ガロン購入しオイルを入れ走らせてが『イマイチ感』は同じでした。 キャブを調整しても同じ。

そこでJeffに『なんだかエンジンの力がイマイチなんだけど…』と尋ねると
ここは5000〜7000フィートの高地(1500メートル以上)で有るので、『スクリューは小さいサイズとチューンドパイプは伸ばすこと』と助言したが、
その準備はしていない』。

まっ正直、直唖然としました。日本から来るって知ってるんだったら教えてもよさそうな
『怒りの気持ち』をおさえ

『なんで教えんやったと』と聞くと『お前が聞かなかったから』と平然と答えるJeff、『まっそりゃそうでけど』
追い打ちをかけるようにお前は『プロファッショナル』やろうと、怒られました。

でもね、地図見てもそんな高地には見えんやった(ここをクリック)!!!。メキシコ湾から大地が隆起してできた場所だから想像がつかんやった。 私のミステーク。

夕方は4時からチームレでボートのマラソンレースが開始されが、観戦している暇はなく我々は出来る限りの高地対策の作業を始めた。
チューンドパイプはO−リングのリミットまで伸ばす作業を全艇した、でも3~5ミリがやっとでした。予備エンジンのヘッダーの方が長いので交換を検討し
翌日レース中に帰ることを決めた。

7時ころから主催者がメキシカン料理パーティを開いていたのでこれに参加した、飲み物(アルコール)代は各自持ちでした。うまかったよ。

4月27日(土曜日) 本日から試合開始です。G1クラス(26cc)全てのクラスやります。
もちろん太陽が上がる前から起き行動開始ですアメリカのレースは、 早朝の選手ミーティングの後、
『自閉症』の募金集めが有りました。我々も手持ちのUSドルを少し渡しました。 

この日は74ヒート消化しG1クラスの表彰式までします。
運営はかなりスムーズに次から次へとやります。私は4種目エントリーしてます。岡本さんはG1モノの1クラスの参加です。
私のモノ艇は初日から敵に乗り上げられご覧のよう大きなダメージが、それでも修理して走る。
燃料補給、修理調整の繰り返しで、順番のスタンバイしていた、ココでもらあんまり観戦できませんでした。やっぱり!

私のボートは同じ場所で止まったり、いろいろなことが起こりました。その都度改善を検討し交換作業、
やっぱ予備のキャブは沢山あった方が早期問題解決につながる。
残念ながらレース結果は入賞できませんでした。 不調の原因がつかめずモノ艇なんかラダーサーボ、送信機と受信も交換した。
アメリカのガソリンはエタノールが入っているので私は『その悪影響の経験が少ない』。
試合が終わりJeffは明日のオープンクラスに向け『全てのボートのエンジンを交換』し排気量アップ(30cc)で明日の試合に臨みます。
彼は何クラスか入賞していました。 くやし〜。
日本からの私達は物量的にそんなことはできませんので、ハンディは有るが今日と同じ排気量のエンジンで戦います。

『これが済むまで君たちはビールでも飲んだ待って!』て、このやろ〜u。 彼をホテルまで連れて帰るメンバーはいません。
私達が優しいことに付け込む『たちの悪いアメリカ人』 まっ はなから全ていい人とは思っていませんので、OKです。
自己主張できないといけませんアメリカでは。。

今晩も主催者はステーキパーティを準備していますが、私達は間に合いませんので別のところで遅い夕食します。 バカ野郎Jeff

ホテルの部屋に戻り各自5分以内ででシャワー浴び(連続ですのでシャワーは出しっぱなしで交代します) Go
行く先はシーフードレストランでメニューはJeffが選びみんなで分け合いました。もちろん余ったのはお持ち帰いりして、
私の朝食と昼飯に食べました。高級料理でうまかった。 翌日さすがに岡本さんは『もうダメやろう』と箸を付けなかった。

岡本さんは
テキーラー飲んで最後はご覧の状態で死にかけて・・・・・。 アホか。

4月28日(日曜日)本日の試合はオープンクラスでエンジンの排気量はリミットは有りません。 さぁ〜どこまで26ccのエンジンで戦えるか?
昨日と同じく私はオープンに4クラスエントリー、岡本さんはオープンモノに1クラス出ています。

岡本さんのモノ艇は2ヒート共同じ場所で『
エンジンストップ』原因がわかりません。昨日まで大丈夫だったのよけい原因が判りません。
『十分楽しんだので次のヒートはパス』と言い始めて弱気になっていたので、『キャブのダイアフラム交換して最後まで走ろうよ』とアドバイスして戦うことを勧めた。

私の方はテスト走行の日に修理したアウトリガー艇の右スポンソンに亀裂が見つかり、ご覧のように応急修理して戦った。修理してくれたのは岡本さんでした。

調子良いのはスポーツハイドロ艇だけでした。 敵を抜き去りトップに出るとすかさず 『"
H"is leader!』 と実況アナウンスされ、感動しました。
Jeffが『
なんでお前のは早いんだ』と同じヒートで一緒に走ったスポーツハイドロについて聞かれたので
少しバカにして『
ツェニーシックス(26cc)だから』と答えると『おっ そうか』で会話は終わりました。

どんどんレースは進み80ヒートこなし上位6位が決勝ラウンドにコマを進めます。 レース中の昼食は主催者が用意してくれました。
私はオープンクラスのアウトリガー部門の上位6名に残ることがでた。現時点は4位の順位です。

スタート直後は私はイン側ぎりぎのレーンでした。 さすが上位に残る者はスタートをきっちり決めてきます。
必死でだれも引きません!、第1コーナー入口は非常に危険な状態』と感じたので、
瞬間の判断で第一ブイの内側で右へ急旋回し1回りして元のレーンに戻り(1ペナルティー)危険をやり過ごした。 ほんと危なかったよ。 

遅れはとりましたが、デットボートになる可能性は有りませんし、接触すれば走行不能になる可能性が大で入賞の望みが断たれます。

結果1位でゴール出来ました。??先頭集団は途中の戦いで私以外は
『全滅で凄い結末』でした。順は繰り上がり3位で入賞が決定されました。 バンザイ!☆
インセーンチームメイトは皆さん上位に食い込んでいました。さすがですね。
主催者は日本から来た私達に『
1番遠くから旅してきた賞』を2個用意して下さり。岡本さんも賞を日本に持って帰ることができました。
女性の選手もいて、良い感じの人々が多かったのでまたここにお邪魔したいと思いました。

会場を後にして車中でのJeffとの会話で 『どうやった〜 何を感じた?』と聞くので、謙遜気味で『リガー艇が3位だったのでソコソコ』と答えると
ばかやろ〜とJeffが怒り『俺のリガーは昨日2位だったけど今日は入賞できなかった』何言ってるんだお前は
『ここで戦ったやつらはみんなプロフェッショナルなんだから3位入賞には自信を持て!』と説教される羽目に。 謙遜とかないアメリカ人でした。
私も内心では高地での戦いで価値ある入賞だと思っていますよ。

それからJeffは『俺たちは今日のディナーはチープ(安く)にいく』と提案した。 もちろん同意した。もうお金ないし。 
それもそのはず土曜日の夜はJeff達と私はナイトクラブに行ったので・・・・その時は岡本さんはホテルでグッタリ。
出前のピザとアルコールを買ってホテルのライアン達の部屋でホームパーティを始めました。 
ここでもJeffは仕切り役で一人25ドル徴収した。ぼったくりです。 この金額でしたら普通のディナーを十分に食べれるんだけど。
暗算の計算がまったくできないアメリカ人は多いので気を付けるように、 特に掛け算と割り算はほとんどの人はできない。よくてできて足し算ぐらい。

4月29日(月曜日) 今日は日本の持ち帰るボート関係の洗浄と梱包です。 チャックアウトの時間12時ぎりぎりまでかかりました。
Jeffとは8時半ごろお別れ、彼はロサンジェルスから飛行機でエルパソに来ていました。
12時過ぎにホテルを出発し一路ラスベガスを目指します。 一気にいけませんので途中ツーソンあたりで1泊します。
エルパソに向かうときから気になっていた道が有ったので(E.Dragoon Rd)ハイウエェーI-10から降りわき道を行きます。ドラゴンと読んだけどドラグーンが正しかった。
なんで道の名前にドラゴンなんだろう、恐竜の遺跡でも有るのかと岡本さんと話していました。
『冒険に出かけました』 う〜n 何だかすごいぞ 生きて帰れるか? 『ジャップだリンチ!』なんてことになればシャレになりませんからね。

行く前から乗馬できるチャンス有ればと思っていましたら牧場の入口のかんばんに『ホースライド』と書かれているのを発見!
中に1.5キロぐらい行くと事務所(クリック)が有り、乗馬できる?と聞くと『予約制だけど調整してみます』と、私達は4時ころ着ていました。  
スタートは5時からでしたら準備できるとことで、私達はOKし手続きを進め、金額は1時間で一人45ドルでした。

超有名な所でスティーブマックィーnとその息子もここが気に入って住んでいたそうで、昔の有名な西部劇の撮影はここで行われていたそうです。
待っている間におばちゃんが、いろいろと英語で説明してくれた。岡本さん判ってるの?      私は綺麗な事務所のトイレを借りウンコ、すっきりした。
年配の感じの良い人が指導、先導します。 私はアメリカでの乗馬は過去4回経験が有り、『早足してもいいかい』と断り パカパカパ〜と中速でも走りました。
岡本さんは小さい時、農家で裸馬に乗って遊んだことがあるので、大丈夫でした。 もちろん馬は良く調教されていて乗りやすかったです。
夕方6時を過ぎましたので日が落ちるまでに今日の宿泊先を決定しないと危ないです。(日が落ちると街に降りての方角がわからなくなる) 
車を走らせハイウエェー沿いの安モーテルの『看板の金額をチェックして決めます』。 
あった!これに決めようとハイウエェーをお降り目的のモーテルに行き『部屋の交渉と金額を確かめる』ツーベットでTAXいれ43ドル
最初は部屋代だけで45ドルでしたが、AAAメンバープライスを採用してもらい安くしてもらった。 
荷物の整理と中華のファーストフードをテイクアウトして部屋で焼酎と一緒に夕食を取り、テレビ観ながら寝ました。  ぐっすりでも何だっか股間が痛かった。

4月30日(火曜日) 今日までにラスベガスに戻らなけば明日の日本に帰る飛行機に乗れません。
モーテルで荷物の整理し出発進行〜u.。    ただジャンジャン走ります。合計エルパソからべガスまで走行距離は780マイル(1248キロ)記録していました。
ラスベガス近づくと『フーバーダム』がありますので岡本さんに観てもらおうと寄りました。 画像では判りにくいですがかなり大きく
難工事ですが、大恐慌を解決するべく、時のフーバー大統領が公共工事を決断したところです。
アーチ型の橋はハイウエェーが通っています。川はコロラド川で、せき止めて出来た湖はレークミードです。
夕方べガスの友人宅に行き私のボート3艇をを預け、今日の宿泊先のホテルにチャックインしひと風呂浴び
ベガスの友人と下のフロアーにある私達がよく利用するメキシカンレストランで入賞祝勝会をしました。
5月1日(水曜日)〜5月2日(木曜日) 私は早朝3時に起き、お土産の買い物をウォールマートまで行きます。24時間営業ですから助かります。
ぐっすり寝ている岡本さんを7時過ぎに起こし帰国の準備、ベガス空港近くのサンセットパークに寄り10月開催されるワールドカップの会場を見せました。

10時ころの飛行機でラスベガスをたちロサンジェルスで乗り継ぎ成田へ、機内では赤ワインと疲れでぐっすりで成田まで問題なし。
無事に福岡空港を夜10時ごろ到着、岡本さんは娘さんが迎えに来ていました。ご苦労様でした。 ありがとう!!!! 
えっ私も女房が迎えに来ていました。 良かった! 『まだいてくれて』☆!

今回もまだまだ、修行が足りません。でも行ってよかった。 あんなディープな所まで行けて、一人じゃどうでしたでしょうか?
アメリカ旅の何かの参考になればと思い書きました。 ご清聴ありがとうございます。      2013年5月9日 大熊博幸